Staff Column

クラフトビールの醸造家になる-Part1 -とにかく始めてみた

  ー青山にある醸造所(現在は移転のためありません)にて、初めて醸造に参加した日ー

クラフトビールを作る人になってみようではないか、と思い立ったのは2020年の冬が始まろうとしていた頃です。ちょうどコロナ禍第1波と第2波の端境時期。なんだか暇だなとネットサーフィンをするうちに、3メートル四方があれば、醸造機器を設置してビールを作ることができる、と言う記事を発見しました。
『ビールって個人で勝手に作れるの??』
そんな好奇心がムクムク湧いてきました。

それまでは映画のプロデューサー、なんてのをやってきましたが、色々あってこのままプロデューサーをやり続けるのか?、一旦距離を置いて、全然違うことをやってみる人生を生きてみようか、と悩み抜いていた時期でもあったのです。

悩むより動け、と言う精神で、まずは作り方を知ろうと思いました。とりあえずインターネットの情報を辿ったり、コンサル会社に約束をすっぽかされたりしながら、ある日偶然、元銀河高原ビールで醸造長をされていた方と出会い、醸造の手伝いをしながら作り方の基礎の基礎を教えてもらえることになりました。

この時点ではまだ半信半疑。
本当にやるのか?、やっぱり飲食経験ゼロだしやめとくか?と大いに逡巡。そもそも物件だって、どの程度の大きさのどういったところを借りてやるのか、当ては全くありませんでした。
もちろん、予算の算段もありません。とりあえず出たとこ勝負でやれる範囲でやるのだ、と言う勢いだけがありました。

ところで醸造用のタンク一式、どれぐらいのお値段するかご存じですか?
どこのメーカーのものを使うかにもよりますが、最初に決めなければいけないのは、1仕込みあたり何リットル醸造できるものを選ぶか、発酵用のタンクは何本購入するか、です。言ってみれば、この映画の企画は全国何館規模の劇場を開けるものにするのかを決めないと始まらないわけです。
*ちなみに醸造機器に関しては、おおよそ1000万円前後、と、とあるコンサル会社からは伺いました。高!

さらに、発泡酒免許は最低でも年間6000リットルのビールを製造しないといけない、と言う免許要件があります。6000リットルとはどの程度の量なのかもハテナ?な状態の中、醸造機器のサイズや規模によっても借りる物件の大きさが変わるので、どう言ったところが良いのかイメージが全く湧きませんでした。
*ちなみにビールを製造する上での免許要件として年間製造量の違いで、「ビール醸造免許」と「発泡酒醸造免許」の2種類あります。ビール醸造免許は年間6万リットル!とても初心者には無理な数量です。

醸造の師匠に相談したところ、「元ラーメン屋とかが良いのでは?」とのこと。
大きさや排水の利便性など総合するとよろしいとのことで、物件探しはそう言う目で見るようにしました。また、私が想定している醸造規模からして、ドイツのSPEIDEL社の醸造セットがお手頃と教えてもらいました。(この機材購入にあたってのスッタモンダは、後日、書きます。)

とはいえ、そんな簡単なものではなく。一時は知り合いから「空き家バンクに登録してある古民家を持ってるけど、いっそ、その家あげるよ」と言う提案に大いにその気になり、勢いで茨城県まで行ってみたりしました。
東京から車で2時間越え。結構な距離ですが、大きさは十分。風情も素敵〜。ゴルフ場もあるし、帰りがけに飲みに来るお客様もいるのでは?なんて、『飲酒運転になる』ことはとりあえず傍に置いて、検討したりしたこともあります。

しかし師匠から「そんな遠くに通い続けられないよ、やめとけ」の鶴の一声で方針転換。
そりゃそうです。移住してまでと言うならともかく、周りに何もない&誰も知り合いのいない土地で始めるのは、いくらなんでも考えなさすぎです。せっかくビールを作っても、誰に買ってもらうのか?商売自体が成り立ちません。作品は作っても公開する劇場がない!と言うようなピンチに陥るところでした。

そんな折、家の近所で空き物件の張り紙を見つけました。ガラス戸の奥を覗き込んでみると、奥に厨房があり、部屋の真ん中がカウンターで仕切られた、ザ・中華屋の佇まい。物件の持ち主は、その中華屋をまんま居抜きでカラオケスナックとして営業していたそうですが、コロナ禍で手放すことにしたとのこと。

長年、渋谷区は笹塚に住んでいた私は、この中華屋がある通りに注目はしていました。しかしな〜。昔は名店がチラホラあった通りですが、今はすっかり寂しいストリートになってしまい、ここで店をやってお客様は来るのだろうか?と不安がよぎりました。笹塚駅から徒歩10分の距離、周りは住宅街なんです。付近にはセブンイレブンしかないぞ?

それでも、ここに決めました。
醸造設備を置けるスペースがあること、2階もあって、思い切りリノベーションしてみたいという欲望に負けたからです。

次は、設計と施工会社を見つけること!ですが、ここでもさらなる苦難の連続だったのでした。(続く)